気まぐれ日記 2010年6月

2010年5月はここ

6月1日(火)「長女からの電話・・・の風さん」
 疲労を覚えると床に横になり、わずかでも気力が回復したらまたPCに向かう、ということを繰り返しながら、夜が明けた。
 しかし、お陰で、小説の原稿はとりあえず出版社へ送ることができた。
 いちおうラストまで届いたというサインである。
 老化が気になって仕方ないが、老化してなくても、仕事というのは、たたき台をこしらえて何度もブラシアップしていくものである。とにかくたたき台が必要なのだ。
 しかし、とんでもない時刻になってしまったので、もう仮眠すらできない。
 朝食を摂ってそのまま出社した。
 今日も好い天気だが、寝不足でパワーが出ない。こういうときはミッシェルのアクセルを踏み込むわけにはいかない。
 しかし、信号待ちで進みが鈍くなったとき、しばし意識が遠くなって……、気が付いたときには前車との距離が……大きくなっていて事なきを得た(^_^;)。
 会社では眠かったが必死に耐えた。
 昼食時、食堂で会った同僚が「花粉症がひどくて」と言うので意外に思った。
 私のような敏感な体質の人間が花粉を感じていないとは……? やはり老化か。
 席に戻って、昼休み中は寝ていた。
 今日は早めに帰宅し、遅い夕食時刻までの間、久しぶりにベッドで寝た(笑)。
 今夜は連載原稿を何が何でも書き上げて送信しなければならない。
 午前零時ごろ、長女からケータイに電話がかかってきた。今、帰宅したところだと言う。
 長女は、とんでもない過負荷勤務を強いられているので、じきに会社を辞めることになる。
 会社を辞めたらフランスに遊びに行きたいから連れて行ってくれ、とか言っていた。
 気持ち的にはOKなのだが、ど貧乏なので安請け合いできない風さんだった。
 30分もの長電話が終わったが、私の執筆はこれからだった。

6月2日(水)「やっとヤマ場をこえた・・・の風さん」
 外がすっかり明るくなった頃、頭の中は逆に夕闇に包まれていたが、連載原稿がやっとできた……と思った。
 出版社へ送るための準備は、機械的だが面倒くさい。テキストデータ作成やpdf変換を繰り返し、画像データも整理して送るのだ。
 昨日に続いて、もう仮眠をしている余裕はなかった。
 いつも通りの時刻に家を出て出社した。気持ち的には、昨日よりもスッキリしていた。
 ヤマ場が過ぎたからだ。
 しかし、昨夜8時半頃から、短い時間でも横にすらなっていないのは、厳然たる事実だ。
 昼休みに自席で机の上に突っ伏して寝るまで、生ける屍(しかばね)状態だった。
 普通に退社して帰宅したら、やっとワイフがねぎらいの声をかけてくれた。
 たまっている用事がたくさんある。とりあえず手紙を1本書いた。
 今夜は久しぶりに普通に寝ようと思った。

6月3日(木)「年内出版に手応え・・・の風さん」
 少し寝不足気味だったが、天気も好く、気分も良く、家を出た。
 7年連続、恒例の展示会出張である。昨年は景気のどん底で、会場に元気がなかった。今年はどうだろう。
 余計な荷物は(本当は余計ではないのだが)読みかけの文庫だけという身軽ないでたちである。
 名古屋駅のキオスクで「ひつまぶし茶漬け」というお土産を買った。
 会場に着いて、ほとんどの荷物をコインロッカーに預け、超身軽ないでたちで見学に出発。
 出典規模は決して大きくはなく、コンパニオンも少なく、ピーク時には遠かったが、景品が復活していたのはうれしかった。着実に回復基調に乗っているようだ。狙っていたセミナーも聴講し、気に入ったブースを冷やかし半分で見学し、とても楽しかった。
 昼食を屋外のテラスで、コンビニで買ったおにぎりで済ませたのだが、昨年の秋以来の超多忙な生活が一段落した開放感で、命の洗濯をしている実感があった。目の前のポプラ並木の緑が、胸に沁み込むのを感じた。
 かねてスケジュールを緻密に作ってあったので、予定の時刻に会場を後にした。
 5時半に、大森駅の改札口で出版社と待ち合わせ、近くのレストランで打ち合わせた。
 1日(火)早朝に初稿をメール送信してあったので、編集長からの指摘があり、納得のいくものだった。
 (軌道に乗った)
 実感した。
 年内出版がみえてきた。
 帰りの新幹線で読みかけの文庫も読み終わった。今年やっと14冊目。読書の遅れも取り戻さねば……。

6月4日(金)「週末もまたダウン・・・の風さん」
 今日は虫歯予防デーのはず。3年間の無理がたたったのか、治療中の欠けた右側の歯に続いて、ここ1、2週間で、左側に歯の欠けが2ヶ所発生した。早急に治療しなければ、8020を何年も前に断念してしまうことになる。
 今日も天気が好く、気温が上がりそうだった。
 マイペースで仕事をして、普通に退社した。
 帰りに、郵便局に寄って振り込みをし、ガソリンスタンドにも寄ってミッシェルに給油もした。
 夕食後に、昨日出版社の人からもらった、英語のクロスワードパズルを解いて、応募葉書も作った。知らない単語は、最後は辞書の世話になったが、初めて見たものもいくつかあった。
 怒涛の1週間の疲れが出て、また書斎でダウンしてしまった。

6月5日(土)「第1回文書サークル・・・の風さん」
 ゆるゆると起き出して、階下へ降り、「おはようございます」と律儀な朝の挨拶をワイフと交わしたが、昨年来何度も繰り返されたパターンのために、さして驚かれもせず。
 朝風呂に入って、トーストの朝食後、昨夜やりたかったメール送信と葉書作成をやった。
 これまでは、用事を片付けながらも次々に新たな課題が生じて、常に借金状態で、精神的にはしんどかった。しかし今後は、その借金が徐々に減少していくに違いない。
 昼食後、待望の文章サークルの準備に取り掛かった。
 以前から、地元で小説の書き方講座みたいなものをやりたいと思っていて果たせなかった。こんなに忙しくて、無理に決まっている。とはいえ、いつ寿命が尽きるか分からないので、何とかしたかった。
 社会人入学を修了したのをきっかけに、地元の図書館と相談の上、非公式の文章サークルを立ち上げることにした。その第1回目が今日なのである。
 あれこれと想いは強いが、スタートはなるべく生徒の希望を尊重しようと思い、これまでの小説修行経緯を語って、生徒たちに選択させてみることにした。
 両面印刷の資料を6ページ分こしらえて、いざ出陣となった。
 私が経験した小説修行の場は、全部で3つである。大内美予子先生の「歴史小説の書き方」、清水信先生の「小説の書き方」そして新鷹会の勉強会である。
 清水先生の教室のやり方に賛同が比較的多かったので、1枚の原稿を元に、皆で議論し、その後できればリライト(やるなら私が作成か)と比較したい、といった感じだった。
 積極的な生徒が多かったので、私は非常に満足するとともに、今後の手応えを感じた。
 夜は、ワイフのトールペインティング展の案内状作成を手伝った。

6月6日(日)「9ヶ月ぶりのトレーニング・・・の風さん」
 たまっていた疲労を一気に解消するためだったのか、普通に起床できなかった。
 すっかりお天道様が高くなったころ、ベッドから転がり起きた。
 今日は、たまっていたメールをじゃんじゃん書いて送った。手紙もたくさん出さなければいけないが、こっちの方は明日から毎晩少しずつ処理していくことになる。
 昼食後は、連載原稿に着手した。全体構成や挿入する図表について考えた。小説と違うので、こういった事務的なステップがとても重要である。歴史読物にはフィクションや斬新なアイデアは必要ないが、小説の場合は、むしろその方が重要になるので、マニュアル通りあるいはガントチャート、パート図、フローチャートといった手法通りには原稿は完成しない。たとえできたとしても、つまらない原稿で終わってしまう。
 夕方から体育館にトレーニングに出かけた。
 実に9ヶ月ぶりだった。しかし、驚くことは、9ヶ月前である。ドイツでの学会発表を目指して、8月頃からせっせと通って体力増強に心がけていたのである。だから、あのドイツでの怒涛の日々もこなすことができたのだろう。
 トレーニングのメニューは、リスクを考慮して、負荷を下げ、種目も減らし、体をほぐす程度にした。
 1時間ほどで0.3kgしか体重は減らなかったが、とてもスッキリした。

6月7日(月)「これから良いことが起きる予感・・・の風さん」
 久しぶりにトレーニングをした翌朝は、軽い筋肉痛から始まった。実に気分がよい。
 出社して、仕事への意欲もこれまで以上に感じられる。
 これから良いことがある予感がする。
 体調がグッドなので、今週は昼休みに英語の勉強もすることにした。もう昼寝は中止だ。
 昼食にサラダを1品追加し、食後に歯磨き、そして、英語の勉強。毎日4ページ以上をノルマにした。
 退社して、元気に買い物もして帰宅。
 一昨日の文章サークルに参加した生徒さんの感想が、ワイフを通じて知らされた。その中に「人生が変わりそう」というのがあり、私の狙いが伝わっていたことを知り、こっちが感激した。
 書斎でメールチェックすると、某出版社へ提案してあった短編集を、編集者が前向きに検討してくれていることが分かった。もしかするとチャンスかもしれない。
 ワイフのトールの案内状の追加印刷を50枚やりながら、たまっていた電子メールの返信をどっさりと発信した。

6月8日(火)「まだまだ雑務はたっぷり・・・の風さん」
 洗面を済ませて階下へ降りて、ふとコーヒーメーカーがのっているキッチンの足元を見たら、茶色の中型ゴキがひっくり返っていた。まだ生きていそうである。はたして退治したのは、宵っ張りのワイフか、敏捷なペコか、どっちだろう?
 功労賞は、三毛猫のペコだった。私から逃げてばかりの可愛げのないペットだが、私の一番嫌いなゴキをときどき退治してくれるので、いちおう存在価値を認めている。
 出社して、今日も昼休みに英語の勉強をした。
 2ヶ所へ電話して、作家の用事も少し片付けた。
 今夜は、昨日のようにメール送信だけで終わってはいけないので、伊能忠敬記念館への資料借用依頼の書類を書いたり、某有名神社へファックスを送ったりした。
 
6月9日(水)「今日も雑用の積み木崩し・・・の風さん」
 ミッシェルで自宅を出発してすぐ、近所のNさんとすれ違った。手を振るので、停止して窓を開けると「ドクター、おめでとう」と祝福された。
 (今でも気まぐれ日記を見てくれているんだ〜)
 うれしかったし、私がポックリ死んだ時、過労死だったことを証明してくれる貴重な生き証人である。
 昨夜用意した郵便物を2通投函してから出社した。
 1ヶ月近い前に、会社へ提案したアイデアの審査結果が送られてきた。0勝10敗だった(^_^;)。
 今日も昼休みに英語の勉強をし、あちこちケータイで電話もして、だいぶ気分が楽になった。
 午後の途中から本社へ出張し、研究発表を聴講した。後輩には期待したいが……。
 定時後は、歯医者と床屋をハシゴして帰宅した。
 夜も、書斎でダウンすることなく雑用を処理した。

6月10日(木)「秋田あきたアキタ・・・の風さん」
 何となく恒例行事になってしまった感があるが、秋田県庁の方が来社された。
 魂の故郷秋田と勤務先デンソーの広告塔を自認する鳴海風なので、お付き合いしてもらえているのだ。
 応接室で来月開催される「あきたリッチセミナー」の話を聞いたあと、秋田の話題で盛り上がった。
 イ・ビョンホンが主演の韓国ドラマ「IRIS」が、実は秋田県でロケされたこと。
 その影響で、韓国便が満席状態とのこと。
 元ジャイアンツの石井(秋田高校卒)が、今度の参議院選挙に出ること。
 秋田高校の今年の東大合格者が15人だったこと。
 鳴海風をぜひ秋田に呼んで講演させてほしいこと(おっと、これは勝手な話題)。
 秋田の強みである元鉱山のリサイクル技術が、ゴミゼロの法令と事業活性化との板ばさみで、なかなか拡大できないこと(鳴海風は、理想より先にまず、リサイクル技術を大いに生かして、捨てられた電気製品を中国などへ輸出してリサイクルさせずに秋田へ送り込んで、産業を発展させつつレアメタルを日本に残すことを主張したい)。
 夜は、学位論文の入ったCDを送る準備をして、早めに就寝した。

6月11日(金)「今週最後の雑務の山崩し・・・の風さん」
 出社途中でレターパックを2つコンビニで投函したが、このコンビにではレターパックを売っていない(笑)。
 昼休みに英語の勉強をしたので、今週は5日間毎日勉強したことになる。
 自分のノートパソコンのハードディスクを軽くしようと、色々な操作をした。今日はDドライブをいじったのだが、ふとCドライブをチェックしたら、なぜか2.4GBも増えていて、ほぼ満タン状態だった。
 同僚と原因をチェックしたら、ウィルスチェックソフトの更新が怪しかった。
 帰宅してメールチェックしたら、あちこちから渋川春海情報が寄せられていた。
 原因は分かっている。その原因に関する情報も届いていて、ビックリするものがあった。
 今週は、自宅ではたまっている雑用を片付けようと思っていたが、かなり残っているので、思いっきり処理というか積み木崩しにかかった。しかし、やれどもやれども、雑用の山はなくならない。
 すっかり疲れてしまった(笑)。
 
6月12日(土)「ゆったりと土曜日を過ごした風さんの巻」
 昨夜たっぷり雑務を処理したので、今日と明日は原稿執筆を進めよう。
 しかし、その初日に寝坊してしまった(笑)。昨夜、頑張り過ぎだった。とは言え、連載原稿の下書きに着手。書き出しのアイデアが浮かんだ。これで2回分の構成が決定した。あとはひたすら書くだけ……だが、調べながら書くのでいつも時間がかかる。
 夕方からトレーニングに行った。行きに図書館に寄って、文章サークルに関する書類を置いてきた。
 トレーニングは先週よりメニューを増やした。1ヶ月くらいかけて、以前のメニューに引き上げたい。
 夕食後はリラックスタイムにした。読みかけの本を1冊読了し、モバイルPCのアプリルに映画を1本インストールした。そこで、早寝しようと思ったのだが、珍しくワイフがワインを飲もうと言ってきた。来週大阪へ行ったり、さらにその先にはトールペインティング教室の展示会があって、私が協力しているため、ご機嫌をとっておこうというのだろう。長男も階下へ降りてきたので、3人で文学談義をしているうちに、すっかり夜が更けた。

6月13日(日)「やっぱり遅筆・・・の風さん」
 二日連続の寝坊(笑)。昨日に続いて連載原稿の下書きに取り組んだが、なかなか進まない。やはり私は筆が遅い(涙)。
 気分転換も兼ねて、夕方から小説の原稿の手直しに着手した。月末に第2稿を出版社へ届ける予定である。
 夕食後は、会社の仕事。でも、半分は自分の自主研究テーマ。学位論文でまとめきれなかった部分。今夜は、画像データの作成のみ。来週は発表スライドを作らねば。
 昨夜の残りのワインを飲んで、今夜もダウン。
 
6月14日(月)「笑いを3発・・・の風さん」
 ワイフを駅まで送った。大阪でトールペインティングのコンベンションがあり、見学やセミナー受講もあるが、自らの作品展示とJDPAの役員としての務めもある。一人で宿泊出張に行くのだと張り切って出かけて行った(笑)。
 しかし、昨日から雨模様。どうやら梅雨に入ったらしい。北国で育った私はいつの間にか、寒さにめっきり弱くなり、暑さが平気になってきた。梅雨明けが待ち遠しい(笑)。
 今日も雑務崩しをやったぞ。某神社へFAXを送ったのと、母校の図書館への資料掲載許可申請の作成だ。これは郵送になるので、ちと面倒ではあるが、初めてではないので、慣れているとも言える。
 ワイフが留守なので、冷蔵庫の中の残り物を片付けて、それが夕食になった(笑)。

6月15日(火)「夢はかなう・・・の風さん」
 金曜日に社外の人たちに某製作所を案内するので、事前に道筋のチェックをしに出かけたのだが、いかにも梅雨らしい空模様で、当日の天気も心配になった。週間予報ではどうも雨らしい。
 帰宅したら、待望の『平成22年度代表作時代小説』が届いていた。
 プロ作家デビューする前、新鷹会の門を叩いたすぐ後ぐらいから意識していたアンソロジーである。
 新鷹会の先輩作家らが毎年のように名前をつらねていた本で、いつか自分も、という気持ちで燃えていた。
 しかし、年を経るうちに、それがいかに難しいことか痛感するようになっていた。
 一時はほとんど諦めていたと言ってもいい。
 今回の収録は幸運以外の何物でもないが、30年以上前に書いた処女作だったことは意義深い。
 そう言えば、今日は15日。新鷹会のある日だ。

6月16日(水)「天気が好くてもパソコンと仲良し・・・の風さん」
 18日の来客対応のために終日資料作りに没頭した。
 こういう日に限って上天気である。梅雨とはとても思えない。
 長時間パソコンに向かっていると、体調がおかしくなる。途中で何度も身体を動かして節々をほぐしてやるのだが、社会人入学の3年間でめっきり体力というか筋力が落ちているので、その程度ではどうしようもない。
 2泊3日で大阪へ出張していたワイフが帰宅した。
 晴れ晴れした表情である。かなり気分転換、ストレス解消ができたようだ。私の体調を気遣うだけの余裕がある。

6月17日(木)「今日も午前様・・・の風さん」
 昨夜は午前2時まで資料作成に取り組んだが、思ったところまで進まなかった。
 睡眠不足のまま出社して、あれこれと業務をこなしてから、早めに退社した。
 今日も昨日に続いて上天気である。老化した肉体には冬の寒さより夏の暑さの方がまだいい。
 しかし、今日も資料作成である。
 昨日から、小説家も休業状態である。
 夕食後頑張ったが、先方に渡せるだけの資料に加工すること(つまりセキュリティ上問題ないレベルにすること)を断念し、とりあえずプレゼンだけをやれるように工夫した。
 それでも、完了したのは、午前3時だった。
 学位論文の追い込みのときと同じ状態になってしまった。
 やはり私は仕事がのろいのか・・・(涙)。

6月18日(金)「お客様第一・・・の風さん」
 二日間上天気だったが、再び梅雨の真っ只中に逆戻りした。
 お客様には気の毒な弊社訪問となった。
 本社でお客様(6名)を迎え、製品展示室を案内した後、いったん別れた。
 某製作所へ案内するため、社有車を借りてくる必要があったからだ。
 このとき、非常に強い雨に降られ、傘を持っていなかった私は、叩きつけるような雨の中で、ずぶぬれになった。
 従業員用駐車場で、ミッシェルから荷物を移し替え、再びお客様と合流するべく7人乗りの社有車ウィッシュをまわした。出発時刻まで車内で濡れた衣服をエアコンで乾燥させていた(笑)。
 時刻になり、土砂降りの中、ウィッシュに乗ってもらい、製作所を目指した。
 あまりの強い降りに、私は途中寄り道やら余計な解説やらをすっかり忘れてしまい、かろうじて、史跡1ヶ所を経由しただけだった。お客様の中に歴史学者がいたので、万葉集のかきつばたの歌で有名な無量寿寺の前を意図的に通過したのである。
 製作所では、二日がかりで作成した私のプレゼンも、製造部の現場案内も大変好評で、勤務先の誠意と社風が伝わったようだ。それが私の最大の目的だったのだ。
 帰りは、製作所を出発するときは雨が上がっていたが、本社に着く頃はまた強い降りになっていた。
 この日は、まっすぐ帰宅し、疲れていたのでさっさと就寝した。明日からまた作家に戻るぞ。
 
6月19日(土)「疲労に疲労を重ねてトレーニング(?)・・・の風さん」
 8時間の睡眠をとって起床したが、疲労が全身に貼りついたままだった。
 とにかく作家に戻らねば、という執念だけで、午前中は連載原稿の続きに取り組んだ。
 午後から、外出した。
 昨日よりはいくらかマシだが、いつ降り出してもおかしくない空模様だ。
 今日は電車で往復するので、読みかけの本(小説)を持っている。
 先ず、歯医者へ行った。今日で一段落した。これから左右両方の歯を使って物を食べられる。うれしい。
 続いて、職場の飲み会へ出席した。あまり飲み会は好きではないので、こういうのは業務の延長上になってしまう。損な性格だ。しかし、今夜の店は、料理もサービスもまあまあだった。
 ぽつぽつ降り出した空の下、家路についた。
 電車を乗り継いで、さらに歩いて、やっと家に着いたときは、もうへとへとだった。
 もしかすると運動にはなったかもしれない。 

6月20日(日)「チビタン来る・・・の風さん」
 昨日に続いて8時間睡眠を確保した……が、疲労はとれない。
 午前中は連載原稿の続きに取り組んだ。
 いい加減にやれない性格なので、書斎にある資料をチェックして裏をとっていく。時代考証は、刑事のような作業だ。
 専門書を誤解して読んでいたことに気付いた。あやうくとんでもない間違い原稿を書くところだった。
 疲労感は深いが、睡眠不足ではない。それだけが唯一の救いで、午後も連載原稿の続き。
 夕方、体育館へトレーニングに行くのを諦めた。
 その頃、我が家へ子猫が体験入隊してきた。
 名前はチビタン。生後1ヶ月くらいかもしれない。知人の家に立ち寄った野良猫の母子が、立ち去った後、なぜか1匹だけ取り残されていた子猫を、スポイトでミルクを上げるところからやって、懸命に育てたのである。ところが、その知人の家にはまだ屋内に4、5匹、屋外にも犬やら猫やらたくさん面倒を見ている動物がいるために、我が家へ里子に出すことにしたのである。
 しかし、うちにもペコという先住猫がいる。後からやってきた子猫が可愛いいからと言って、ペコを粗末に扱うわけにはいかない。そこで、私が提案する1週間の体験入隊となったのである。
 早速チビタンを発見したペコは、「フワーッ!」と猫独特の威嚇方法で脅したが、チビタンは平気だった。
 しかし、よく見ると、このチビタン。クロネコなので、熊にも見える。大きくなったら熊になるかもしれない。
 とにかく、この状況は、ペコが我が家にやってきたとき、シルバーとの間で展開されたことと全く同じなのだが、ペコは覚えているわけはない。自然の摂理である。
 ペコの不快感をよそに、チビタンはエサを食べ、水を飲み、オシッコもうんちもトイレでちゃんとして、眠りたいときに眠っていた。その間、ペコはサンルームに隠れてふてくされていた。
 意外だったのは、人間の子供たちで、シルバーが死んで8ヶ月、次女もペコと同様に不快な表情をするかと思ったが、そんなことはなく、抱きかかえてその頼りない軽さに胸を揺さぶられていたようだ。
 そして、もっと驚いたのは長男で、シルバーに対しても、ペコに対しても関心も興味も示していなかったのに、な、なんとチビタンを抱いたり、ソファに座って遊んでやっているではないか! チビタンのオスメスはまだはっきりしないが、何となくオスのような感じがする。長男は弟ができた気分で喜んでいるのかもしれない。 
 
6月21日(月)「チビタンの体重・・・の風さん」
 今週も昼休みに英語の勉強をすることにした。
 ……と、先月受けたTOEICの結果がネットで公開された。早速チェックしようとしたのだが、IDとパスワードを忘れていた。止むを得ず、調べてもらって判明した。
 結果は、な、なんと、せっかくインチキ・テクニックを教えてもらったにもかかわらず、総合点で5点しかアップしていなかった。情けない。
 次回は半年後に受検するつもりだが、真剣に準備しないと、ひどい目に遭いそうだ。
 ミッシェルに給油して帰宅。
 チビタンが来て24時間が経過した。相変わらずペコは警戒態勢のまま。逆に、チビタンはますますリラックス。クロネコなので、リラックマ状態だ。
 料理用のはかりで体重を測定してみることにした。
 「300gくらいかな」と私。
 「1kgはあるんじゃない」とワイフ。
 「まさか」と言いつつ、チビタンを抱き上げてはかりに乗せた。
 「おおっ!」
 チビタンが動くので正確には測れなかったが、約550gだった。
 「ペコの10分の1ね」とワイフ。
 「君の100分の1だ」と私。……直後、私の命が危うくなったのは言うまでもない。

6月22日(火)「CD送付が大詰め・・・の風さん」
 昨夜用意した学位論文データの入ったCDその他を、今朝、東北地方へ向けて投函した。レターパック2個である。学位論文の配布に関しては、いよいよ残りは片手の指で数えられるところまできた。実に長い道のりだったが、大詰めである。
 某神社の算額見学スケジュールが、やっと確定した。10月3日(日)である。今後は、参加者を確定する作業になる。
 買い物をして帰宅した。
 気になるペコの様子だが、もう警戒心はだいぶ薄れたようで、表情に穏やかさが戻っている。
 そして、天真爛漫に走り回っているチビタンと、ときどき接触がある。明日あたり仲良くなっているような予感がする。
 郵便物の多い風さんだが、昨日は遠藤寛子さんから猫の切手が貼られたハガキが届き、今日は楠木誠一郎さんの新刊『宮沢賢治は名探偵!!』が届いていた。
 「宮沢賢治って、名探偵という印象じゃないね」とワイフ。
 「誰でも名探偵にしてしまうのが、楠木さんの手腕なんだよ」と私。
 今夜は、CDを海外へ送る準備をしているうちに、午前零時を回ってしまった。
 
6月23日(水)「スペインへ郵送・・・の風さん」
 梅雨ではあるが晴れた。金曜日の夜は恒例の「長谷川伸の会」があるし、土曜日は作家としての取材予定もあるので、好天はウィークエンドにとっておきたい。
 会社で久しぶりの個人写真撮影があった。ネームプレート用である。もしかすると10年ぶりぐらいかもしれない。まるでパスポート写真だ。免許証用の写真だって5年で随分変わっている。
 とは言え、定年までの残りの年数を考えると、今回の写真は私にとってはどうでもいい気がする。
 帰りに、遅くまでやっている郵便局に寄った。
 昨夜準備した国際郵便を出すためである。しっかり梱包もしてある。小型包装物のSAL便というので出せば、送料が比較的お得になるので、そのように申告した。係りの女性が親切に対応してくれて、いよいよ料金の支払いとなった。
 送る先はスペインである。
 「1080円です」とコンピュータの画面を見て女性。
 「あれ? 1080円は船便でしょ? SAL便なら2080円では?」と私。
 結局、システムによる見積もりではなく、紙に印刷されたマニュアルまで持ち出してチェックしてくれた結果、重量が関係していることが判明した。私は小型包装物の限界の2kgで見積もってあったのだが、実際の品物は1kg弱だったので、廉価だったのである。たまたまそれが、2kgの船便の送料と同一だったので、私が偉そうに「船便の価格と間違えているのでは?」と指摘したのであった。
 それでも、とにかく得した気分で帰宅した。
 猫同士で仲良くなっていることを期待したが、残念ながら昨日からあまり進展していなかった。
 「チビタン」と呼ぶと飛んでくるので、名前はチビタンに決まりかもしれない。
 
6月24日(木)「野球観戦は20年ぶりか・・・の風さん」
 昨夜用意した横須賀へのレターパックを2通、出社途中にコンビニで投函した。
 これで郵送の大物は終了した。しかし、頑張り過ぎかも。
 今日は午後だけ有休にした。今夜、名古屋ドームにナイター観戦に行くのである。
 週末の上京のためのお土産を購入した。
 資料の借用をお願いしている伊能忠敬記念館に電話したら、まだ発送していないという。ちょっと急いでいるのでよろしくと伝えた。
 出発までできるだけのことをしようと書斎で作業をしていたら、知らないうちに電車に乗りそびれた。
 1本遅い電車でワイフと出発。
 ここのところ出歩いてばかりいるワイフは遊び上手になっている。実に楽しそうである。
 行きの電車の中で短編を1本読んだ。私は貧乏性かもしれない。
 名古屋ドームへ向かう道を歩いていると、選挙運動とぶつかった。そうか。今日告示されたのだ。我々愚かな国民をだますことをもういい加減にやめないと、日本はつぶれてしまうぞ。
 そのときケータイが鳴った。記念館からで、用意ができたので、資料を送ります、とのことだった。
 8番ゲートから入り、生ビール2つと弁当2つを買って席へ。
 今日のチケットは、学位取得祝いで、会社の友人がプレゼントしてくれたのだ。持つべき者は良い友人だが、私自身は他人にとって良い友人になっているだろうか。貧乏性がまた頭を持ち上げてきた。
 一塁側、バッテリが真横から見える良いポジションだ。速球が速過ぎて見えないが(^_^;)。
 途中でソフトクリームを買いに出たついでに、応援グッズのミニバット2本組を購入してワイフに渡した。
 「わぁ、楽し楽し」とはしゃいでいる。きっと150歳まで長生きするだろう。
 中日は先発のチェンが不調だったのと、何度もチャンスがあったのだが、横浜の好守備にあって、逆転はできなかった。
 明日の出発が早いので、さっさと寝ようと焦れば焦るほど次々にやることが出てきて、就寝は午前2時になってしまった。やっべぇー。
 
6月25日(金)「第47回長谷川伸の会・・・の風さん」
 今年も「長谷川伸の会」が開催される。第47回である。長谷川伸先生がお亡くなりになってから始まった行事なので、回数を見ても分かるように、もうすぐ50年。つまり、新鷹会の財源である長谷川伸先生の著作権が、パブリックドメインになってしまう。
 今年で9年連続司会役の私は、昨日、伊東昌輝先生から式次第をファックスしてもらい、それを読んだのは午前零時過ぎだった。
 実は、その資料の中に重大な間違いを発見した。
 それで、上京してすぐ、会場となる四谷の弘済会館へ電話して、式次第の間違いを伝えると、既に大きな掲示板は完成していたので、作り直しとなった。
 続けて、伊東先生へ電話し、同様の報告をすると、すぐに配布物の修正に取り掛かることになった。印刷所でもやり直しになるに違いない。
 こうして、18時に何とか「長谷川伸の会」は始まった。
 今年の長谷川伸賞は西村京太郎先生である。
 西村先生が新鷹会に入門したのは、長谷川先生がお亡くなりになった翌年とのことである。つまり47年前。以前、東京駅で偶然西村先生にお会いし、「僕が新鷹会に入ったのは、君と同じ34歳のときだった」とおっしゃっていたから、今年80歳を迎えることについては、確かに算数がほぼ合う。
 西村先生は入門時、既に江戸川乱歩賞を受賞されていたが、さっぱり売れず、苦労なさっていたそうだ。勉強会でも短編を読んで決して絶賛されることはなかったそうだから、この道は相当な精神力が必要である。
 とは言え、天下の西村京太郎先生に長谷川伸賞が授与されることは、後輩としてもうれしいことである。
 明日のスケジュールが詰まっている私は、いつもと異なり、2次会へも出席せずに、会場を後にした。
 例年、梅雨の真っ只中、雨降りになることが多い「長谷川伸の会」だが、今日は曇天で傘のいらない楽な日だった。

6月26日(土)「東京雨男くずれ・・・の風さん」
 天気予報では、今日の東京は何とか雨にはならないはずである。
 それでも、蒸し暑い中、あちこち動き回るので、計画的に行動しなければならない。
 ホテルをチェックアウトした後、新宿へ向かった。夕方の合流ポイント近くのコインロッカーにほとんどの荷物を預けた。これは私にとってとても重要な行動である。身軽でないと、アクティブな作戦は展開できない。
 続けて、総武線で浅草橋へ。江戸情緒が残る江戸通りを蔵前の方向へ歩いて、江戸時代の浅草の司天台のあった地域を探索した。かつては、いくらか起伏もあったのだろうが、現在は平坦だし、ところどころに神社が残っているが、それ以外は全く面影はない。
 説明の掲示板があり、英語でも書かれていたが、明治政府によって廃止させられたという記述は、胸に迫るものがある。
 一帯を歩き回り、このあたりが測量のための露台があった場所だろうと見当をつけて、天文方の人たちの活躍をしのんだ。
 目的を果たして自動販売機でコーヒーを買って飲んだ。
 続けて、上野の国立科学博物館へ。
 渋川春海が製作した紙張子製の天球儀や地球儀が特別展示されているのである。
 想像以上にしっかりした作りで、天球儀も地球儀も表面にはぎっしりと情報が書き込まれていた。芸術品のような美しさも感じたが、実用性も兼ね備えていたものと思う。ただし精度は、当時のレベルで考えなければならない。地球儀など、中国から伝わってきた世界地図を切って球体に貼り付けたぐらいに思えば、それにしてはよくできていると感心できる。
 すぐ近くの時計の展示コーナーも勉強になった。
 続けて、新宿に移動した。
 企画提案してあった某出版社と2時間にわたって打ち合わせした。親しく、フランクに話ができたのはとてもよかったが、私の提案は通らなかった。現在の出版社のビジネスとしての作戦を教えてもらい、いかに出版界が苦しい状況にあるか認識できた。そして、その路線にのった作品を書いてほしいと依頼されたのだが、今の私にはそれにすぐ応えるだけの実力が備わっていないため、これから準備するしかないのが結論である。
 編集者と別れた私は、待ち合わせていた親しい友人と合流し、ジュースを飲みながら近況を語り合ったのち、昨年亡くなった野村先生の墓参に出発した。長谷川伸先生と同じ6月に亡くなられたことになる。私にとっては意味深い。なぜなら、野村先生を長谷川伸先生のように思って師事してきたからである。
 今朝、預けておいた荷物を、このときコインロッカーから出した。
 ここまでずっと曇天ながらも降ることのなかった空から雨粒がぽつぽつ落ちてきた。
 新宿御苑前駅で、野村先生の長男の方と合流した。
 お墓に案内してもらって、念願の墓参を果たした。
 報告することは多々あったが、場所が分かったので、これからはいつでも来れる。
 墓参後は、近所の串焼き屋で精進落としの一杯会となった。
 今夜も最終の新幹線で帰名した。
 傘を買うことなく帰宅できたので、東京雨男の異名を返上できる兆しかもしれない。

6月27日(日)「穏やかな日曜日・・・の風さん」
 今日は長女と食事をする計画もあったのだが、長女が出勤になったため延期になった。
 しかし、それでよかった。
 超過密スケジュールをこなした影響で、今日は終日疲労感が抜けず、家でゆっくりと雑務をこなすしかなかったからだ。
 そのような中で、仕事らしい仕事と言えるのは、某神社の算額見学についてお誘いのメールを出したり、連載原稿の割付が出てきたのでその校正をしたことくらいか。
 チビタンが来て1週間になる。
 ペコの表情は穏やかで、チビタンも積極的に接近しているが、まだくっついて寝るまでにはなっていない。暑い夏なので無理かもしれないが、やがてそういうときが来る気配はする。
 名前もチビタンで確定だな。

6月28日(月)「ポジフィルムを写真屋へ・・・の風さん」
 連載記事に載せるための写真用ポジフィルムを某資料館から拝借したのだが、意外と写真にしてくれるところがない。近年はデジカメが主流で、速攻プリントは得意でも特殊焼き付けは専門店のようだ。
 スーパーに間借りしている写真屋に電話してみたら「外部へ出しますので、1週間はみてください」と言われた。
 結局、聞いたこともない店に依頼することにし、ミッシェルでナビの指示するまま向かったら、とんでもない田舎道を指示されて、最後、風采の上がらない店舗の前にたどり着いた。普通の客が寄るところではない。でも、店内に機械があって、そこでやってくれるらしい。仕上がりは明日である。
 電話ついでに、某出版社のよく知っている編集長に電話して、雑談した。
 売れない原稿を見てくれることになり、今夜データを送る約束をした。
 捨てる神あれば拾う神あり、となればうれしいな。

6月29日(火)「1年かけてビジネス英語を学んだものの・・・の風さん」
 連日猛暑が続いていて、気分がよい。じめじめした梅雨よりずっと好きだ。
 1年前から読み始めたビジネス英語のテキストを、今日、昼休みにやっと読破した。
 会社の昼休みだけに読んでいるからこんなに時間がかかるのだ。しかし、付属のCDはいつもミッシェルの中で流しっぱなしだったので、200時間くらい聴いたかもしれない。リスニングが徹底して弱いので、これくらい当たり前だが、不得意は不得意。きっと身体的な欠陥があるのだろう。そこを克服しないとTOEICで高得点は望めない。しかし、ちょうど遅筆で寡作という欠点とよく似ていて、なかなかてごわい。
 写真ができて受け取ったが、出来栄えはまちまちだった。恐らく元の写真(ポジフィルム)がプロの仕事ではないせいだろう。
 帰宅して、疲労を感じるので、先ず休養をとってから原稿に取り組むことにした。

6月30日(水)「今月も連載だけは間に合った・・・の風さん」
 ワールドカップのサッカーで、日本は惜敗した。1点がとれないままPK戦で負けたのだ。失点しない作戦が成功しても、得点できなければ勝負は勝てない。せめて1点とれるだけのエースがいればなあ、と思う。今日勝って、ポルトガルも勝って、スーパースターロナウドと戦わせたかった(笑)。
 そんな(正)夢を見てから、未明に目覚めた。
 もう原稿は大ピンチというか、絶体絶命だと確信した。
 それでも頑張って出社前に、8月のサイエンスカフェのための事前情報をまとめて送付した。
 昼に某出版社の編集長に電話したら「届いた原稿データを楽しみながら読みましょう」と言ってくれた。これで、運を天に任せる気になると同時に、企画提案が通らなかった土曜日の出版社の要求に対する作戦を考えてみようというチャレンジ魂がむらむらと胸中に熱くたぎってきた。
 天気がよかったので、郵便局に寄って某学会の年会費を振り込み、スーパーでコーヒーの粉を4袋購入し、ミッシェルの自動洗車をしてから帰宅した。
 今日もペコとチビタンが激しくじゃれ合っていたので、チビタンの爪を切ってやった。
 連載原稿ができて送信できたのは、午前1時半ころだった。
 それはよかったが、韓国の俳優パク・ヨンハが自殺したのは痛ましい事件だった。好きな役者だったのに……合掌。 

2010年7月はここ

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